第六回

  

博多二○加(にわか)が大好きだった父は、屋号も「二○加屋旅館」です。博多二○加というのは、今でこそ郷土芸能として保存され、博多二○加振興会もできていますが、当時は、ちょっと低俗に思われていたため、姉たちは「もう少し品のいい屋号に変えたら?」などと言っていたようです。

父は暇があると二○加好きの人たちと舞台に出たりしていましたが、シャベリは下手だったと思います。父のせりふはいつも「そうそう‥‥」とか「違わん、そのとおり‥‥」とか言うばっかりで、専ら相づちを打つ役でしたから、子供心にも「もっと良い役をやってもらいたいなぁ」と思ったものでした。

しかし、三味線はとても上手でした。「どんたく」の時期になると、知人のおばさんたちを引き連れ、私たち兄弟も四、五歳になると一緒に出されたものです。一年中お世話になっているような大店や知人の家を訪ね、

「ヨーター祝うたぁ!」

と大きな声で玄関に入ると、迎えた家では玄関に緋毛氈(ひもうせん)を敷き、自慢の屏風(びょうぶ)を立て、大皿には夏ミカンや銀杏(ぎんなん)の甘煮や蒲鉾(かまぼこ)が美しく盛られていて、次々に訪ねてくる「どんたく」の人たちに振る舞われます。

そこで博多ひとくち二○加を披露したりするのです。

「坊(ぼん)さん坊さん。そげな高かとこに上ってござったら、コキ落ちなざるバイ」
「あ痛っ!」
「ホーラ落ちなざったろうが‥‥、どこかケガはありまっせんな」
「あたしゃ坊さん。毛がない、ケガない」

ではもう一つ

「今年の甘柿は百斤(きん)いくらな?」
「二十円タイ」
「そんなら渋柿はいくらな?」
「渋柿は食えん九円)」

パチパチパチ(拍手)

「どうした上手かいな、イサオさんは何歳になんしゃったな?」
と褒められながら帰りがけには「預かり笹(ざさ)」を襟に挟んでくれるのです。この「預かり笹」には、お面や紙風船やパッチンのほかに「預かり」と書いた紙片が付いていて「どんたく」が終わったあと、まんじゅうやせんべいとの引換券になるので、最高の楽しみでした。

(1993年 画家 著書より)

  

    

  

   
  


提 供 いさお企画
福岡市中央区白金1丁目11-14 TEL.092-531-2439
nishijima@atoriedoga.jp