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私が小学生当時の、毎月納める授業料は、ハトロンの紙袋に、ひとり通学の者は黒、二人以上は赤で印刷した袋でお安く半額程度でした。 勉強は姉や兄たちが大きな声で読んでいる本や、歌っている歌をいつの間にか覚えてしまうので、とりわけ机に向かわなくても成績は良い方でした。 冬は兄弟そろって紙ダコを作って揚げたり、パッチン、竹馬、コマなどの遊びです。 春の遠足は、今は博多駅になっていますが、そのころは一面の菜の花畑に囲まれた比恵の山王公園、桜の平尾浄水池(現在の動物園)、博多湾が一望の桜の名島(もとは発電所があり、神功皇居の帆柱石が有名)などが代表的でした。上級生になると四天王寺や宝満山、太宰府天満宮まで歩いたものです。 夏は林間学校です。兄たちは霊場めぐりで有名な篠栗荒田の杉林の中にある山水のプールで泳いだり、勉強したりでしたが、私たちは白砂青松の新宮海岸でした。 秋は校庭での練習を兼ねた小運動会、中運動会。そしていよいよ父兄参観の大運動会です。その当時、福岡市内の小学校では大抵自分の学校の運動会ではなくて東公園(現在福岡県庁がある所)亀山上皇銅像下の広場を使っており、それはそれは盛大なものでした。 とりわけ四人の子供達が出場するわが父は、前日からテント張りに行ったり、良い場所を押さえたり大変な力の入れようです。 この晴れの場所ではやはり個人の能力がハッキリ出る「走りグッチョウ(かけっこ)」の出番を待つ胸のどうきが今も忘れられません。 オルガンに合わせて女の子と一緒に踊る「遊戯」は照れくさくて苦手でしたが、「川中島(騎馬戦)」「棒倒し」は勇ましくて好きでした。
その頃の日本は、明治二十五年に日英同盟が結ばれていて国名が親英派で「ヨーイドン」の英語の合図だけでなく、イギリスの国歌も教わったりしていたのです。 また、小学校では、家ごとに日の丸を掲げて祝う国民の祝日「四大節」がありました。 ♪年のはじめの例(ためし)とて 終わりなき世のめでたさを 松竹たてて門ごとに 祝う今日こそたのしけれ・・・と歌う一月一日の四方拝(元旦際)。 ♪雲にそびゆる高千穂の 高嶺(たかね)おろしに草も木も なびきふしけん 大御世(おおみよ)を・・・と歌う二月十一日の紀元節。 ♪今日のよき日は大君の 生まれたまいしよき日なり 今日のよき日は御ひかりのさし出たまいし・・・と歌う四月二十九日の天長節。 ♪亜細亜の東日出ずる処 聖(ひじり)の君の現れまして古き天地(あめつち)とざせる霧を・・・と歌う十一月三日の明治節の四つです。 四大節の日は授業は休みでしたが、必ず学校で式が行われます。 私たちのころは約千五百人の生徒数であった御供所尋常小学校も、博多駅に近い都心にありながら、現在はわずか百五十人ぐらいに減っているそうです。 (1993年 画家 著書より) |