第二十一回

  

私たちがビルマに着任したころは、日本軍が進駐して三年くらいたっていました。考えてみると、私たちは占領軍で、加害者だったわけですが、ビルマ(現ミャンマー)を英国の支配から解放した勢力でもあるわけで、島の人たちは協力的でした。

駐屯していたメルギー島は、町の中心の海岸に沿って海軍と陸軍の本部があり、小高い丘に金色のパゴタが建っています。外出して町の通りの店で軍票(軍発行
の紙幣)で自由に買い物もできました。

ビルマのどこへ行っても出会うのはお坊さんとカラスと水牛です。寺院では、日本の将校といえども境内の入り口で靴を脱がねばなりません。カラスは。人間に襲いかかることもありました。水牛が大きな車輪の車を運搬する姿は絵になりました。

「メイマー」とは娘さんのこと。色は浅黒いが日本人によく似ています。香木を砥石(といし)ですって溶かしたものを肌に塗って化粧しているのですが、それがムラになったりしているのを、冷やかしながらスケッチしました。

ある日、慰問袋が届きました。一度海に沈められたものらしく、絵の具がはげて土の形だけになった博多人形と、コチコチに硬い佐賀の丸ボーロと一緒に、「伊三雄元気か、私も元気だ。○月○日」と、文句は同じで日付だけが違う父の筆文字の便りが五通も入っていました。

父は男の子三人を軍隊にとられ、兄と弟は陸軍で満州(中国東北部)にいるとだいたい分かっていても、私が海軍で音信不通、郵便物のあて名も「佐世保局気付、イ二四、イ二二」という暗号のような住所であったため、どこにいるのかさえ分からずに、毎日心配しているのだろうと思うと、胸が熱くなりました。

(1993年 画家 著書より)

  

  

   
  


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