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昭和二十年の八月、イギリスの飛行機が、次のような「降伏勧告」のビラを基地上空でまきました。 「日本の兵士諸君、もし楠正成が今日生きていたならば、諸君に向かって次のように教えたであろう。≪汝らは無用の戦闘で犬死するのは、国家のために将来尽くすべき責任を逃れんとする卑怯の行為である。このさい汝らは英米軍を信頼して、生きながらえて日本に帰りて、軍閥の横暴に荒れ果てた日本の立て直しに このビラは、元海軍三十四防衛隊の戦友が持ち帰って、保存してあったものです。 ![]() そして、八月十五日、天皇陛下の「終戦玉音放送」が受信されたらしいのです。 やがて部隊は施設を整理し、島の奥のゴム林に集結。私は今まで本部があった海岸通りの爆撃跡や穴埋めや、道路の整理に毎日出かけることになりました。 イギリス兵が監視しているわけでもないのですが、レンガを二人でモッコに入れて、働くふりをして、一日中あっちに行ったりこっちに行ったり、できるだけ そんな毎日が退屈で、せめてスケッチでもしたいと思っても、紙や鉛筆が手に入らず、また、自由な外出もできません。配給の食料は一日に千五百カロリーぐ 「軍人は生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」とかいうような感じは全くないまま、ゴム林の暮らしが五ヵ月くらい続いたころ、ウソのような「内地送還」の情 (1993年 画家 著書より)
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