第二十二回

  

昭和二十年の八月、イギリスの飛行機が、次のような「降伏勧告」のビラを基地上空でまきました。

「日本の兵士諸君、もし楠正成が今日生きていたならば、諸君に向かって次のように教えたであろう。≪汝らは無用の戦闘で犬死するのは、国家のために将来尽くすべき責任を逃れんとする卑怯の行為である。このさい汝らは英米軍を信頼して、生きながらえて日本に帰りて、軍閥の横暴に荒れ果てた日本の立て直しに
努力すべきである。これこそ唯一の忠君愛国の道である。≫と。しかり、英米軍を信頼して、一日も早く来りて我らと握手せよ!ああこれ忠臣楠氏の教えた道で
ある」

このビラは、元海軍三十四防衛隊の戦友が持ち帰って、保存してあったものです。

そして、八月十五日、天皇陛下の「終戦玉音放送」が受信されたらしいのです。
部隊がざわめき始めたころ「総員整列」の号令がかかり、司令から「終戦の大詔(たいしょう)を拝して…勇戦奮闘のかいなくやむなくポツダム宣言を受諾、わ
れら全知全能を傾注したれど戦局利あらず血涙をのんで戦闘を停止。これからは試練の嵐(あらし)に耐え、国家再建に邁進(まいしん)せよ」との訓示がありました。みんな黙って聞いていました。ただ張り詰めた気も抜け、正直ぼんやりしてしまいました。負けたという実感もあまりありません。これから私たちはどうなるのか、だれにも分かりません。

やがて部隊は施設を整理し、島の奥のゴム林に集結。私は今まで本部があった海岸通りの爆撃跡や穴埋めや、道路の整理に毎日出かけることになりました。

イギリス兵が監視しているわけでもないのですが、レンガを二人でモッコに入れて、働くふりをして、一日中あっちに行ったりこっちに行ったり、できるだけ
体力を消耗しないよう、ただ動くだけのことでした。

そんな毎日が退屈で、せめてスケッチでもしたいと思っても、紙や鉛筆が手に入らず、また、自由な外出もできません。配給の食料は一日に千五百カロリーぐ
らいがイギリス軍から支給されて、むしろ日本軍のほうが節食していたように思えました。

「軍人は生きて虜囚の辱めを受くるなかれ」とかいうような感じは全くないまま、ゴム林の暮らしが五ヵ月くらい続いたころ、ウソのような「内地送還」の情
報が伝わってきたのです。

(1993年 画家 著書より)

  

  

  

 

    

    

   
  


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