第二十三回

  

昭和二十一年一月、日本へ帰れるかどうか分かりませんが、マレー半島へ渡り「ムドン収容所」まで約百里(四百キロ)の長い行軍をすることになりました。

みんなテントの布でリュックサックをこしらえ、軍服と靴、それにせっけんと米を大事に持ってメルギー島を出発しました。

軍隊は解散しても、階級と指揮系統はそのまま続きました。医療班がトラックで先行したり、後部から守ってきたりしてくれます。三日ぐらい歩いたとき、なんとかスケッチはできないものかと思いましたが、絵をかく鉛筆と紙がありません。

そこで私たちに同行している英軍の現地人グルカ兵にうまく話しかけて、似顔を描いてやり、貴重な紙を分けてもらうことに成功しました。

ところでびろうな話ですが、千人もの大部隊の朝の排せつは大変で、監視のグルカ兵が野原に縄張りをして、その中で全員用を足すよう命令します。至る所に穴を掘って用をすますと猫のように土をかぶせるのです。

あとから行く下級兵の私は地雷を埋めた敵地を歩くようなもので、ジワジワと用心しながら新しい場所を探すのですが、他人のヤツを掘り起こした時の悔しかったこと、「ええクソ!」です。

悲喜こもごもいろいろな経験に耐えて、無事目的地のムドン収容所に着いたときは感激でした。

ここでは、ビルマの最前線で九死に一生を得た陸軍二万人ぐらいの兵隊も南下して一緒です。この収容所の場面が、映画「ビルマの竪琴」のシーンに出てきたようです。

さっそく、竹材を骨組みにし、アタップというヤシ科の植物の葉を屋根や壁に使って、兵舎をつくるため私は、この竹伐採で、あの映画「戦場にかける橋」で知られた泰緬国境の物騒な鉄道を伝って行くことになりました。

一人一日、決められた数の竹を切るのですが、ジャングルの竹はせっかく根本を切っても、上のほうが大きなツタにからまって、ビューンと体ごと引き戻されてしまいますし、しかも鉄道線路まで運び出すのはたいへんな力仕事で私には無理です。

(1993年 画家 著書より)


 

    

    

   
  


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