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二科展出品のおかげで、当時福岡の二科会大先輩伊藤研之先生のお家に出入りできるようになりました。 福岡は武家の町、博多は商人の町。先生は大名町の旧家の出です。その知性といい、品の良さといい、無学で軽薄な博多商人の私は、近づき難いものさえ感じましたが、先生はようおいでなったなァ」(よく来たね)とか「どうしてガッシャッタね」(どうしていましたか)というような昔黒田藩の武士が使っていたといわれる福岡弁と、生粋の博多弁と交ぜて話してくださいますので、とても親しみを感じました。 そして、商業美術と純粋絵画との違い、油絵のテクニック、文学やクラシック音楽などの話もしてくださったものです。 夏の二科展が始まると、福岡と久留米の出品者は、よく一緒になって上京しました。 さあ!準備万端整った東京では、みんな裸になって墨で黒人に変装し、当時「おっぱい小僧」といって全国的に有名なストリッパーを先頭に、新宿、そして銀座のど真ん中をパレードです。 ![]() 一番人通りの多い銀座四丁目交差点にさしかかると、おっぱい小僧の乳を隠していたきんきらきんのブラジャーをわざと落とします。随伴しちえる警視庁のパトカーが、けたたましく「ピイッ!ピッピッピッ!」とパレードの車を止めて注意します。周辺の人々が何事かと振り向きます。大変な宣伝です。二科会の御大・東郷青児先生はすごいと思いました。 上野の森に着くと、台の上におっぱい小僧を乗せ、おみこしのように「オッショイ、オッショイ」と美術館まで担いで行くのです。その前半の博多山笠の櫛田入りで私が山を担いでいたのをご存じの東郷先生が 「西島君は一番前を担いで、みんなの音頭をとってくれ」と言われましたので、私はもうホイホイです。 美術館の前に着くと、当時ラテン音楽で日本中を沸かせた東京キューバンボーイズの生演奏です。乗りに乗って、浮かれに浮かれたものです。
上野美術館前で(1993年 画家 著書より) |