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八十点ばかりを描いてその中から選び抜いた応募作品が、ご覧の通りのものでした。 大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」です。作品に添えて出す制作趣意書には次のようなことを書きました。 「科学文明は地球上に二大勢力(東対西、男体女)をつくった。この勢力はお互い手を取り合い、調和して、平和な世界への進歩を達成せねばならぬ。シンボルマークは下部左右の円と円が結ばれて世界を一となし、次の世代への新しい平和な世界(上部の円)を形成する。なお日本で開かれることの意義を日の丸(上部の円)で表現し、東洋的感覚をアレンジした。」 応募締め切りから一週間余りたった昭和四十一年二月九日、私の応募作品が第一位に選ばれてシンボルマーク候補に内定、という朗報が届きました。 「まさか!ほんなごとじゃろうか?」自分の耳を疑いましたが、やがて報道関係からかかってくる取材電話で「本当だ」と安心したのでした。ところがなんと、それから二週間後に私の作品は「採用保留」となったのです。 昭和四十一年二月二十三日、日本万国博覧会のシンボルマークを正式決定する万博協会常任理事が、東京で開かれ、選考委員会が候補作品として内定推薦した私の作品は、石坂泰三協会会長の反対で「保留」「決定は会長一任」ということになったのです。 翌日の新聞は「万国博マークお預け」「会長のつるの一声」「石坂さん猛反対」「抽象的、わからぬ」「選考委一致の推薦作」・・・大きな見出しが紙面に踊っていました。 当時の新聞報道を抜粋してみますと、石坂さんの反対理由はおよそこういうことです。 「これまで世界各地で開かれた万国博のマークに比べ抽象的で分かりにくく、大衆性がない。万国博は子供や年寄りや外国人もやってくる。専門家でなくても分かるものでなくては・・・」 ![]() (1993年 画家 著書より) |