|
「あゆみの箱」が縁で近付きになった伴淳三郎さんは、映画「二等兵物語」がヒットしたり、「アジャパー」というギャグを流行させたりした当時の人気喜劇俳優です。 福岡に来られると、いつも一緒に食事したりしましたが、自分は山形生まれで、お父さんは漆の蒔絵師であったとか、カスリの着物にふろしき包みを抱えて上京したので、上野の西郷さんの銅像を見上げている自分の絵を描いて欲しいとか、とても親しいお付き合いをするようになりました。 伴淳さんは、筆文字がとてもお上手で、私の兄も「宿」という文字を書いてもらって、今も玄関に飾っています。 私が伴淳さんと親しくしていると、友人が黙ってはいません。「私たちもかてて(仲間に入れて)ください」ということになり、伴淳さんの名前をもじって「晩餐会」と名付け、いつも歓迎会をやるようになりました。 私の仲間はみんな芸達者の愉快な人たちばかりです。清川名店ビル「角の八女茶」の角幸憲さんの案内で八女の里へ新茶摘みに行ったり、早春の室見側河畔で「白魚のおどり喰い」に興じたりしました。 ある日の宴席で兄が、女のカツラをかぶり、にわか面をつけてしりを振りながら♪会いに来たかよ松原越しによ・・・と「博多夜船」を面白おかしく踊ったのには、さすがの伴淳さんも笑い転げてしまって「これは傑作だ!いつか私の映画に出てもらおう」といことになりました。その時は冗談と思って聞き流しておりましたら、やがて本当に出演以来があったのです。 昭和四十五年春「東京・調布の大映東京撮影所に来てください」という伴淳さんからの連絡が突然届き、兄は飛行機で慌ただしく上京しました。映画の題名は「おひかえなすって!」という任侠(にんきょう)物の喜劇で、兄の役は囚人で、カツラが合わないので長髪をバッサリ切られ、坊主頭の出演です。 場面は伴淳親分の出所祝いに牢屋の中で、新人の西島荒太郎が三下役の二枚目俳優川崎敬三さんと二人で「博多夜船」を踊るという筋書きですが、「あとでベテランの俳優さんから、あなたはどこのプロダクションのひとですかと、感心されたバイ」と兄は自分の演技力を自慢しておりました。 その映画の封切館は東中州の福岡大映劇場で「晩餐会」のメンバー全員で見に行きましたが、ほんのちょっとしか出演の場面は無く大笑いしたことでした。 ![]() 伴さんと共に募金活動 (1993年 画家 著書より) |