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昭和五十二年四月、福岡市の姉妹都市アメリカのオークランドから親善使節が福岡市にお見えになりました。その歓迎パーティで、大濠高校バスケット部OBの人たちと話しているうちに、先に姉妹校提携しているスカイライン・ハイスクールと親善試合ができたらいいですねという相談です。 当時、私は大濠高校の父兄後援会長で息子がバスケット部に属していましたので、さっそく海外旅行取り扱いの人に相談しましたら、あまりにも突然のことで耳を傾けてくれません。ところが、その夜の二次会で、アリゾーニイさんという米人妻と話しているうちに「考えてみましょう」ということになり、翌朝は「親善試合を引き受けましょう」との話です。 始めてお会いした金髪に青い目のアリゾーニイさんは映画俳優のゲーリー・クーパーの様な顔立ちで、とても信用できそうです。友人の画家、阿刀暹涯先生に「大丈夫でっしょうか」と念を押しましたら「OKですばい」とのこと。阿刀先生は終戦後、白木原米軍ベース内の小中学校で、家族や子供たちに絵を指導しておられ、英語はペラペラですから、大船に乗ったつもりで実行することに決めました。 ところがそれからが大変です。三十人分の旅費のせめて半分は負担してやらなければなりませんし、バスケット部監督の田中国明先生をはじめ、副会長の中村久氏、OB会長の小森繁樹氏に相談して、父兄講演会や家族はもちろん一般の篤志家や、ふようライオンズ、叢匠会、そして当時の亀井福岡県知事さんにも個人的に出費をお願いに行ったりしました。また募金箱を作ってなじみのバーや食堂に備えたり、阿刀先生と色紙を描いて資金カンパに回ったりしました。 私はそれまでに二回、オークランド市へ行ってはいますが、今度は違います。全責任を負わなければなりませんし、もし生徒たちに間違いでもあれば大変です。これまでのような単なる観光旅行とは違い、服装も私たちとOBは紺の上着に白ズボン白靴。生徒は黒の学生服で統一することにしました。 オークランドに着くと、顔なじみの市会議員フランク・小川氏の出迎えで、整然と市庁舎へ表敬訪問、夜はテニスクラブでアメリカの奥さんたちが手作りの料理で歓迎。私は阿刀先生に描いてもらった、片仮名の発音が付いた英文のあいさつ状を読み上げましたが、これがうまく通じたのか大拍手でホッとしました。 ![]() 私が描いた遠征チームのワッペン (1993年 画家 著書より) |